では話を戻して、今日は彼らが初めて関空へ着いてから奈良に来るまでの話を書いてみます。
関西空港に着いて通関から出てきた時の彼らの表情は、今でも鮮明に覚えています。「こんにちは、良く来ましたね」と声をかけても緊張からか笑顔を返すのがいっぱいいっぱいの感じです。
後日、この笑顔は緊張のためでは無く、日本語が全然わからなかったから笑うしか無かったということを知ることになりましたが…
彼らは中国の大連出身で、大連は奈良よりもはるかに都会、大都市です。 この子たちが持っている日本に対してのイメージは、日本=東京なのです。 そう、まだ彼らは奈良がどんな田舎か知りません。自分たちは、大連よりももっと発達した日本に来ましたよ!っと思っていたわけです。
車に乗って、阪神高速を走ると堺の工業地帯が見えてきます。 おお!さすがに日本は工場が多いですね。都会ですね!と思っていたようです。 車は近畿自動車道から阪神高速に入り東大阪まで来ます。 まだ高いビルが多く都会なのでワクワク期待をしています。そのうち正面に生駒山が見え始めた頃、ちょっと不安になります。 山に向かって走っていますよ???
不安になったのでしょうか、彼らは同行してきた大連事務所の社員に中国語で聞きます。
「空港から遠いですね? まだ着きませんか? 山に向かって走っていますよ?」
すると、大連事務所の社員は、「あの山の向こうですよ。もうすぐ着きますよ」とだけ答えたようです。
彼らは、あの山の向こうにも都会があるのだ、と信じていたようです。
第二阪奈道路のトンネルを抜けると….そこはまた山でした。 しかも、しばらく走ると長閑な風景になります。 そう…奈良は大連よりも田舎だったのです。彼らの故郷である旅順と似たり寄ったりの田舎だったのです。
彼らと話をしていると、よくこの話が出てきていました。
「ワタシたちは、トウキョウのような発達した大きいの都市で仕事ができますよ!と思っていマス。 しかし、着いたところは旅順と同じの感じデシタ」と。
ここから、彼らの三年間が始まります。